手間とゆとり。

前にも書いたかも知れないけど
今どれぐらいゆとりがあるかを
自ら知るバロメータのひとつに
「珈琲」というキーワードがある。

もちろんハーブティーを丁寧に入れる でもいいのだけど
真っ先に思い浮かぶのは
「珈琲を淹れる」ということ。

珈琲だったら
大体なんでもいいのだ。
インスタントでも
そこに少しのゆとりを感じる。

最近は敢えて
前に購入した
コーヒーメーカーで淹れることで
更なるゆとりを堪能できるように
していたのだけど

さらに欲張りな私は
もっと前に頒布会で手に入れた
手動式のミルで 豆を挽いてみることにした。

これが ヒットで
もうここしばらくは これにはまっている。
気のせい以上に
香りも味も機械で挽くのとは
ぜんぜん違う。

特にうまい淹れ方を知ってるわけでもないし
今以上に特に知りたいということもないのだけど
それなりに丁寧にお湯を注いで淹れた
珈琲は ゆとり+αを
もたらしてくれる。

まあ
珈琲も淹れられないほど
忙しく動き回ってるというわけでもないのだけど
ゆとりを感じる ということをすると
逆に 頑張って 前に進めるような
気持ちにもなるという
変な相乗効果も期待しつつ。

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忙しさと暇の目安。

音楽を通じてお友達にならせていただいた
ある方が ご自身の日記で

しばらく忙しくて書けなかったけど
ひと段落ついたので
やっと書けるようになった。

というような内容のことを書かれていた。
そしてそこには大好きな音のこと
それを堪能されたことも書かれていた。

それを見たときに
単純に いいなあと 思った。

書く「暇」もないほど「忙しい」のだ。

それに引き換え

「忙しい」といいつつ 書く「暇」のある自分。

書くことを少し考えたら
「忙しい」といっている私にその分
時間があげられるんじゃないの。

それでやっぱり
書くのが足りなければ 書けばいいし,
それで事足りれば
それが書くのに適した時間ということ。

ほかのこともそうやって
ちょっとずつ

昔そうだった。
給食で 大食缶とかを配っていて
うまくよそえてなくて足りなくなったら
みんなのところに回っておすそ分けしてもらってた。

あんな感じで やってけば
ちょうどいい量ってのが できるんじゃないの。
ねえ yueさん。

何事も一度っきりではうまく調わない私には
そういう方法もあるのだ。

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